伊万里梨発祥100年の歴史と永井博士にまつわる秘話

top>>伊万里大川梨の歴史

伊万里大川梨の歴史

明治39年時の立川区長丸尾栄次郎(27歳)藤田竹治立川青年会長(21歳)が中心となり、農家の苦境を打開するため同志を糾合して鋭意協議を重ね、結果10数名を得て、南多久花祭の草場久八氏を尋ね梨栽培の有利なることを確認し梨苗を導入。原野を手開墾・開墾成功したところより逐次植栽したのが始まりです。
品種は、博多青・長十郎・太平・太白・早生赤・幸造・今村秋・晩三吉・独逸・四百匁梨等を栽培いたしました。

永井博士と伊万里梨

昭和25年2月27日、大川中学校3年生の150人は、長崎への修学旅行の最初に永井博士のお見舞いであった。長崎の原爆投下で、最愛の妻を亡くされ自らも被爆の病身の博士は、子供二人と質素な家「如己堂」で暮らされていた。そのお見舞いの際、郷土の梨「晩三吉」を贈った。
 その後、卒業式直前にお礼状と自筆の押し絵入り色紙が届いた。
「大川の野山はみねど 梨の実の 甘きに想う豊かなる里」 
この短歌は梨栽培者にとって、貴重な応援歌でもある。





永井博士について

永井 隆(医学博士)  
明治41年(1908)島根県松江市で医師の子として生まれる。
昭和 7年(1932)長崎医大を卒業し、医大助手として放射線医学を学ぶ。
昭和15年(1940)医学部助教授
昭和19年(1944)医学博士
昭和20年(1945)8月9日、原爆で婦人を失い、自分も原爆を受ける
昭和21年(1946)病床に就きながら原子病と闘い、執筆活動を続け「如己愛人」「平和を」の精神に徹して医師としての使命感に生きた人である。また絵画・書にも優れた才能を持ち、科学者と同時に文芸家であるという異能の天才である。
昭和26年(1951)5月43歳で亡くなる。

永井博士著書

・ 長崎の鐘  ・ 如己堂随筆 ・ 亡びぬものを ・ ロザリオの鎖  ・ 平和塔  ・ 花咲く丘  ・ この子を残して 
・ いとし子よ  ・ 生命の丘 ・ 原爆雲の下に生きて ・ 乙女峠

伊万里梨栽培の沿革

年 次 主なできごと 備考
創始期 
明治39年
明治39年時の立川区長丸尾栄次郎(27歳)藤田竹治立川青年会長(21歳)が中心となり、農家の苦境を打開するため同志を糾合して鋭意協議を重ね、結果10数名を得て、南多久花祭の草場久八氏を尋ね梨栽培の有利なることを確認し梨苗を導入。原野を手開墾・開墾成功したところより逐次植栽した
 品種は、博多青・長十郎・太平・太白・早生赤・幸造・今村秋・晩三吉・独逸・四百匁梨等    
明治37~38年 
日露戦争
明治41年 南波多 古川部落の堀田誠一氏が大陣岳の麓を開墾し、誠一氏の弟、大川原部落の山口松一氏が手伝い、大川村立川長十郎・廿世紀10本を植栽  
大正4年 佐賀県物産共進会の折、農務省の専門技官を招聘して適地調査を依頼、現地調査の結果全国有数の適地なることを評価され一同意を強くする 大正4~5年 第1次世界大戦 梨苗 1本5銭 手押噴霧機5円 佐賀へ個人出荷する人あり
大正8年 この頃から、病害虫が次第に多くなり経営困難となる。特に7~8年鋸蜂及びゾウムシ等喰害虫の被害をまともに受け、結果樹が極端に減少する。底なし新聞袋や和紙を枝に巻き込んで、藺(い)草(ぐさ)で結ぶ  
大正10年 立川園芸組合設立 組合員38名 組合長 田代礼造 副組合長 田代増吉で発足。以来生産資材の共同購入を始める。袋用の新聞紙は大阪の貿易商近藤商事、肥料は牛津町の坂井商事、農薬は佐賀の井上喜商店と定める。なお梨栽培に関する雇用労賃や梨の地元販売価格の協定をする。 佐賀県に専門技官設置され、組合は知事に対し派遣を要請し派遣認可を受けるや病害虫防除や肥培管理の指導を受ける(技官は農務省園芸試験場興津出身の林正六氏) 大正12年9月
大川に電灯がつく
大正13年
~14年
農薬 砒酸鉛・ニコチンデリス・松脂合剤など開発され害虫の駆除成功し収量が安定してくる。 自転車講始まる。自転車約20台を相知の田中自転車店より共同購入し、輸送販売が始まる(生産者が荷台と運搬用籠を考案・価格は1台73円~120円位)  
昭和 3年 梨の集荷場として、相知より水車小屋を買受け建設する。  
昭和 4年 佐世保・福岡より商人がトラックで買付けが始まる。出荷荷姿は、台湾バナナの空き箱に10貫詰めとして出荷 昭和6年満州事変
昭和 6年 共同梨集荷場建設「本場立川梨」として佐世保方面へ初出荷
出荷荷姿は、石油空き箱(石炭箱)4貫詰め。
この頃から在来種が淘汰され、二十世紀の植栽が始まる(菊水・新世紀・新高)
 
昭和10年 針金の出現により、梨袋の果梗掛けが可能になり作業が倍加された筑肥線開通に伴い、「本場立川梨」の大看板を立川・駒鳴間に設置し消費宣伝が始まる。短果枝剪定へ 筑肥線開通
昭和12年 支那事変突入。戦時体制に入り詳細不明。  
昭和17年 昭和17年には70haの植栽となる 大東亜戦争激化
昭和18年 大川果樹園芸組合設立し、大川梨と改称  
昭和20年 昭和17年には70haの植栽となる 大東亜戦争激化
昭和23年 農協法施行により、大川農業協同組合発足 大川村果実農業協同組合発足 動力噴霧器開発される(真鍮による配管) 宿を中心に大水害
昭和24年 共同出荷再開される。市場も佐世保・福岡・佐賀近郊市場へ拡大
大川村果樹研究青年同志会創立
動力噴霧機及び真鍮管配管が導入。
 
昭和25年 南波多で、苗木3,720本導入される。これ以降随時導入される
この頃から、自家製新聞袋から市販既成袋へ移行していく。
朝鮮戦争始まる
昭和26年 農薬による訪花昆虫の減少、人工交配始まる。結実の安定・幼果肥大高まる。 沖縄・香港へも梨を出荷
昭和27年 「大川梨」として、本格的共販体制始まる。
大川村に村民の熱望により、立川に佐賀県梨試験地開所
太平洋戦争終結
昭和28年 2町7村が合併し伊万里市となる NHKテレビ放送
昭和29年 大川町果樹研究同志会と改称 ビニールパイプ出現
昭和30年 駒鳴の共同撰果場が建設される  
昭和32年 梨のダンボールでの出荷が始まる。  
昭和34年 この数年前ごろから、20世紀の生産量の低下と価格が低迷。  
昭和36年 梨袋講習師を福島県より招き講習会の開催で袋がけが倍加する。 ミカン栽培が激増する
昭和38年 鳥取大学の林教授を招き講習会を開催。
昭和39年 同志会3名(松本義雄・丸尾九十九・平山護)と駐在の川添技術員を、鳥取園芸試験場に派遣。場長米山寛一氏、研究員 南條範夫氏、病理は鳥取大学 林眞二先生より指導を受け、再生新技術の取得。 この鳥取への派遣は50年頃まで続く。 梨共同選果開始(長崎他へ)
昭和41年 黒班病に効果の高いダイホルタン出現し、ボルドー液主体から散布回数も大幅に削減される。
昭和44年 関西(神戸)梨出荷開始 太平洋戦争終結
昭和45年 竹野共同梨園造成・植栽 無袋梨への取組 10.4ha 完全共同園で、婦人による共同炊飯も行われる。 減反政策始まる
観光梨狩り
昭和46年 小規模土地改良事業(梨園造成)田子丸地区
関西(京都)梨出荷開始
昭和48年 南波多 谷口幸水園 大川原徳樹園 重橋三水園誕生。集荷所建設 オイルショック

昭和50年

伊万里新幸農園着工される。関東(東一)梨出荷開始 西販連梨部運営協議会結成。立川に大川梨発祥の碑建立
昭和51年 大川町 梨撰果場完成梨(西販連)
昭和52年 トンネル試験栽培の取組

大川町農協会館落成

昭和53年

南波多 梨撰果場完成

昭和55年

梨ハウス試験栽培取組  松浦町 新幸農園完成

昭和56年

トンネル栽培面積増加運動 
赤星病撲滅対策運動(ビャクシン伐採の理解を求める)

冷夏・長雨水稲の作況74

昭和57年

大川農協 果実組合合併 大川町農協へ

佐賀農業産地づくり運動始まる

昭和58年

全国梨研究大会が佐賀県で開催される。
梨の黒斑病多発。香川(新高)市場へ梨出荷開始

昭和59年

波多津町中山・田代に梨園造成が始まる。
大川町梨統合撰果場操業開始(3撰果場を1本化) 駒鳴峠果樹園団地完了。大川町農業基盤整備落成式

昭和60年

南波多で梨ワインの試作。波多津地区の梨が松浦で撰果始まる。

果心公園整備
大川町農協農業賞制定

昭和61年

果樹試験場梶浦一郎氏来協。
廿世紀から、幸水への改植や高接更新が進む。
相次ぐ台風災害で、被害甚大「災害克服大川町総決起大会」を開催

オレンジ自由化

昭和62年
~63年

伊万里市で「梨農家婦人大学」開校。女性の梨生産への意欲が一段と高まる。個性化商品として梨の「糖一超特選」ブランドを銘銘
梨の無袋栽培が拡大する。

 
平成元年

水害後、夏場の大干ばつで、梨小玉 南波多に撰果機導入

 
平成 2年

相次ぐ台風災害(7.29、9.14、9.27)で農産物の被害4億円に

7.2大水害

平成 3年

果樹農業後継者梨グループ「梨友会」結成
残留農薬による出荷規制

 
平成 4年

冷夏・長雨で日照不足に加え、相次ぐ台風で梨500トンが落下する

 
平成 5年
~6年

施設化への気運高まる。(ハウス・トンネル)
果樹農業後継者梨グループ「梨友会」が「ASメイト」へ名称変更
大旱魃で、枯死する梨の木も発生し水稲は収穫激減。一方立川丸野地区にハウス梨団地用水施設設置。
構造改善事業で、梨ハウス1.25ha(総工費5千5百万円)

佐賀農業・農村ナンバーワン運動
県1JA構想
米の関税化

平成 7年
~8年

梨のトンネル雪害甚大。相次ぐ台風・異常気象で、施設化が進む。
果樹販売高10億円達成。横浜金港市場出荷開始
構造改善事業で、梨ハウス4.45ha O-157発生で、農産物の消費に影響。フェロモントラップによるシンクイ虫予察開始

カメムシ異常発生
住専問題

平成 9年

7月中旬の長雨・日照不足でリンモン病、水梨発生。梨の市場での傷み果(腐敗果)発生。

県園芸連・経済連統合

平成10年

立川に拡販式堆肥処理施設完了梨園への堆肥散布も促進される。
梨農家も家族経営協定締結

 

平成11年

幸水のジベレリン処理を廃止。農産物直売所「四季の里」開設。

新農業基本法
東西JA合併推進協議会

平成12年

南波多撰果場に光センサー撰果機導入

BSE発生

平成13年

大川町果樹研究同志会創立50周年記念大会

 

平成15年

伊万里第2地区(大川梨)撰果場に光センサー撰果機導入

伊西地区5JA合併

平成16年

伊万里梨発祥100年記念行事開催

 

JA伊万里大川選果場のトップへ
Copyright(C)2010 All Rights Reserved. JA伊万里大川梨撰果場